独身アラフォー干物OL。借金323万円。

現実にきちんと向き合い、借金ゼロになるまでの日々を綴ります。




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借金以前② (高校時代) :: 2011/06/18(Sat)
からつづきます)

最初のアルバイトの時給は、今も忘れません。420円でした。
当時の物価を考えても、驚きの少なさです(笑)。

通っていた県立高校はびっくりするほど校則が厳しくて、アルバイトなど勿論禁止でした。
見つかった友達は、1週間くらいの停学処分を食らっていました。
家庭の事情でアルバイトの必要がある場合は学校に申請をしないといけなかったのですが、両親はそれを拒否しました。…わたしと同じで、無駄にプライドが高かったのです。親が借金を背負っていることやその経緯を学校に申請することが、どうしても嫌だったようです。

なのでわたしは、学校に隠れてアルバイトをしていました。こそこそと。
駅のショッピングセンターの、進物用のお砂糖などを扱う店舗でした。
沢山お砂糖を包装したので、今でもラッピングは得意です(笑)。

アルバイトや家庭のことは、友達にも話しませんでした。
今もそうですが、その頃から既に、人を信用しないところがありました。特に「秘密を守る」っていう部分では…

時給420円、1日2時間、平日週に3日。日曜日は隔週でフル勤務。
そんな勤務で手にするお金はわずかでした。
月に1万5千円~1万8千円くらいだったでしょうか。

その中から、自分に必要な分だけ手元に残し、母に渡していました。
母がそのお金を、学費の引き落とし用口座に預けてくれていました。

手元に残すお金は大体、3千円くらいでした。
特にオシャレとかもしない地味な学生だったので、ちょっときつい時もあったけど、なんとかやっていけました。
学食で友達が200円のラーメンを食べる時も、100円の素うどんを食べてたわたしでした(笑)。それでお金を残して、レコードを買ったりしてました。当時吉川晃司が好きだったんです…。

高校の授業料は、修学旅行積み立てもあわせて月々12,800円でした。
シフトが少ないときは母に1万円しか渡せないときもありましたが、そうでないときは出来るだけ多めに渡すようにはしていました。

姉もアルバイトをして授業料を払ってましたが、姉は私立だったので、わたしの倍くらいの授業料でした。
なので、全てを払うことはできなかったようでした。

アルバイトもしていない友達が月々5千円のお小遣いを貰ってると聞くと、本当に羨ましかったものでした…。


2年生も後半になり、進学の問題がでてきました。

実は、子供の頃は漠然と「美大に行きたい」と考えていました。
でも、学費の高い美大は無理だし、美大に行ったら課題も多くてアルバイトは難しいだろうし…と、現実的にどう考えても無理だと思いました。

「手に職をつけたい」と考え、誰にも相談せずに、コンピュータ関係の専門学校への進学を決めました。
いくつかあったそっち系の学校の中で、もっとも授業料の少ないところを選びました。
月で割ると3~4万円だったのです。

専門学校への進学に向けて、3年生の夏ごろにアルバイト先を替えました。
お酒も扱う飲食店(居酒屋みたいな感じ)だったので母はちょっと嫌そうでしたが、もっと働かないと専門学校の学費が捻出できないので、そう選択しました。

学校にバレるといけないので、学校から離れた場所にある繁華街で働きました。
ちょっと特徴のある制服だったので、駅のトイレで私服に着替えてから出勤してました。

時給はちょっとだけあがって、530円になりました。
でも5時半から9時まで、週に6日働けて、給料は一気に増えました。
増えた給料は、専門学校の入学金になりました。

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  1. 借金の歴史
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借金以前① (子供時代) :: 2011/06/18(Sat)
「わたしと家族」のところで少し触れましたが…
うちには、親の借金がありました。
父が仕事がらみで作った借金でした。中学1年生の頃です。

それ以前から、うちは決して裕福な家庭ではありませんでした。
両親の実家(すごく田舎)は土地や山も持っていて、はたから見ると裕福なようにみえましたが、3男坊の父にはその財産は受け継がれてはいませんでした。

つつましい家庭だったと思います。
小さな借家に住んでいました。
個人の部屋など当然ありませんでした。年のはなれた兄の学習机があったのは、なんと台所でした。

「お小遣い」を貰うようになったのは、小学校の2年生くらいからだったでしょうか。
最初は200円。それから学年があがるごとに、100円づつ上がっていきました。
とはいえお金を使うのはせいぜい月に一度、「りぼん」か「なかよし」を買うくらいだったので、少ないと感じたこともありませんでした。

中学生になると、お小遣いは一気にアップしました。…1000円に(笑)

お友達よりも少なかったと思います。
それでも人間的に地味だった(笑)こともあって、不便は特に感じませんでした。

その頃には、マンションを購入して引っ越していました。
マンションの購入資金は…これは大人になってから知ったことですが、実は国から出た、ある保証金でした。
兄にはある障害があり、その保証金として国からお金が出たのでした。
そのお金で、兄の名義にしてマンションを購入したということでした。
保証金がいくらだったかは、今も知りません。

そしてそのマンションが、今の実家です。

台所で勉強をしていた兄には個室ができ、わたしには姉と共同に使う部屋が割り当てられました。はじめての、自分の部屋です。
当時から「片付けられない女」だったわたしは、自分側の部屋の半分を、いつもいつも散らかしていました。
もう半分の姉のエリアは、いつもきっちりと片付いていました。
今にして考えると、姉には本当に申し訳なかったなと思います…。

そうやってお金が出てマンションを購入したあとも、生活に変化はありませんでした。
父が借金をつくって姿を消すまでは。

遺書さえ残して失踪した父でしたが、数週間後に無事に戻ってきてくれました。

それからが、借金返済の日々でした。
単純に「家を売ってそのお金で返せばいい」と考えることはできましたが、それは父が拒みました。「家は手放すな」というのは、父の遺書にも書かれていたことでした。
兄の障害に対して出たお金で、兄の名義で買った家だったため、それを親の都合で手放すことはどうしても避けたかったようでした。(その事情も、兄に障害があることも、その頃のわたしは知りませんでした。)

以前書いたように、借金は親戚の助けで、一旦清算することができました。
それ以降は、親戚に対して少しづつ返済していくことになりました。

仕事上で作った借金だったため、父は退職していました。(辞職ではなく、解雇でした。)
暫く家にいて持病の治療などをしたあと、仕事を見つけてまた勤務するようになりました。
専業主婦だった母は、その頃既に50歳くらいになっていましたが、パートに出るようになりました。

子供の頃から、お年玉はそのまま母に全て渡し、貯金していました。
姉とわたしのその貯えは、家族の生活費として一瞬にして消えていきました。

「授業料の安い県立高校に行って、アルバイトして自分で授業料を払おう」誰に何を言われたわけでもなく、中学1年生のわたしは自然とそう思っていました。
そして、それを実行しました。

(長くなったので、一旦中断します。続きます。)

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  1. 借金の歴史
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完済を決意したキッカケ。 :: 2011/06/04(Sat)
借金とは、かれこれ20年と少しの付き合いです。
これからポツポツと、その歴史を思い出し書き記すことで、目を逸らしつづけてきた現実にちゃんと向き合おうと思っています。

とはいえ、もう本当に嫌になるくらい、計画通りに物事を進められない性格。(ん、これは性格なのかな。癖なのかな。)
できるだけ順を追って書いていきたいとは思っていますが、その歴史も過去と現在を行ったり来たり、話が飛びまくったり、になってしまう可能性が「大」です…
お見苦しい、いや、「読み苦しい」かと思いますが、ご容赦ください。


今回は、歴史のうちの「現在」のお話になります。
今回「もう絶対借りない!必ず借金を返済する!」という決意に至った、キッカケのお話です。


前に書いたように、この借金のことは、家族は知りません。
父が入院した時には現金を用立てたり、両親が関東の姉夫婦の家を訪ねる時のも費用を全部出したり、また親戚から借金をしていた両親のために年に10万円くらい渡したりもしていましたので、むしろ両親は、「親孝行なしっかりした子」だと思っているのかもしれません。
現実には、用立てたそれらのお金は、キャッシングによって捻出したものだったのですが…。

そんな両親のもと(近所)に、ゴールデンウイークの際に帰った時。
父の部屋で、父がキャッシングリボでお金を借りた明細を見てしまったのです。
金額は15万円でした。それを、毎月1万円返済するという内容でした。

両親はもう働いておらず、年金で生活しています。ニートで借金持ちの兄の存在もあります。生活は裕福ではないと思います。
でも、だからといって、15万の借金…。
何のための…。

それよりはるかに多い額を借金している自分を棚にあげ、本当にショックを受けてしまったのです。

私なら、今も働いています。まじめにやればなんとか返せる、と思ってここまで来ていました。現実には借金は増える一方でしたが。

でも、両親には仕事はありません。
母は時折、着付けの手伝いなどで小額の謝礼を受けているようですが、父は年老いたのと以前病気をしたのとで足腰が弱く、普通に歩くのも困難な状態なので、仕事もできません。
そんな状況で、15万円の借金…。
自分がそうなので、これがこれだけの借金で済むとも思えません。月1万ならなんとかなる、という思いから、借金は繰り返されていくように思います。(ちなみにそのカードのキャッシング枠は全部で30万円でした。)

なんとかしなければ、と思いました。
年老いた両親に、借金を抱えさせるわけにはいかない、と思いました。
そのためにも、私がしっかりしなければ…両親が困った時には、自分がお金を「借金しないで」用立てできるようにならなければ、と思いました。


それが、ひとつのキッカケ。


もうひとつのキッカケは、その数日後に起こりました。
先月、5月10日のことです。

その日は、VISAカードのショッピングとキャッシング分の返済期日でした。
3月に急な出費が多かったために、この月の返済総額(利息込み)は19万円程になっていました。
ショッピングリボとキャッシングリボの返済分だけで10万円ほどだったため、残りの9万円は「あとからリボ」にして、リボ返済にする予定でした。ネットで申し込みをしていました。

ですが、10日。
念のためにネットバンキングで口座を確認してみると…なぜか、落ちるはずの返済額が、口座から落ちてないのです。いつも朝のうちに落ちていたのに、そんなはずはありません。

慌ててVISAの返済額をまたネットで確認してみましたら…申し込んだはずの「あとからリボ」が、リボ払いの限度額オーバーのために、受理されていなかったらしい…ということがわかったのでした。

返せない。慌てました。
口座(既にマイナス口座)には、返済予定額ギリギリしか入っていませんでした。
慌てて銀行に走り、キャッシングリボを枠いっぱいまで借り、ありったけの現金もあわせて口座に入れ…それでもあと5万円足りませんでした。

5万円、どうしよう。
もうどこからも借りることはできませんでした。親になど頼めるはずがありません。友達なんてもってのほかです。

頭に浮かんだのは「ショッピング枠現金化」でした。
そんな業者があることを、借金ブログを巡る中で知っていました。勿論、それが違法であることも

それでも、それしか方法が思いつきませんでした。
ぐずぐずしていては、職場に督促の電話がかかってきてしまいます。電話が個人名で掛かってくることはわかっていましたが、「個人名で掛かってくる電話は『勧誘』か『督促』」というのは、なんとなく皆わかっていることでした。そんな電話で、「もしかしてあの人借金してるんじゃ…」なんて疑いをかけられるわけにはいきませんでした。

勤務中でしたので、帰りに携帯で業者を検索しました。
そのうちのひとつにネットで申し込み、電話で話をしました。

詳細を書いていいかどうか、なんせ違法なので、迷うところですが…
できたら現金化なんて方法は使うべきでないと思うので、牽制のためにもいつか書こうかなとは思いますが、とりあえず今はおいといて。

結論だけ言いますと、

79980円の買い物をして、52000円の現金が振り込まれました。」

ネットでは、還元率は84~85%となっていましたが。
実際の還元率は65%程度しかありませんでした。
あまりに低いのでそこだけは確認したのですが、かえってきた答えはこうでした。

「ネットに表示してあるのは最大の還元率で、実際は違う場合があります。○○さまの場合ははじめてのご利用なのでこのくらいになってしまうんです。次回のご利用の時にはもっといい還元率でご利用いただけますよ。」


屈辱でした。

絶対に「次回のご利用」なんてしない!!!と、その時強く強く、思いました。
悔しくて、情けなくて、でもそれは全てが「自分の蒔いた種」。

もうこんな思いは絶対に嫌。
ちゃんと返す。

もう絶対に、今度こそ、借金を綺麗にする!!!!


そんな情けなく恥ずかしい出来事が、借金完済への決意、そしてこのブログ開始へのキッカケだったのでした。



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