独身アラフォー干物OL。借金323万円。

現実にきちんと向き合い、借金ゼロになるまでの日々を綴ります。




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止まらない自分(就職、それからの日々) :: 2012/08/11(Sat)
「借金の歴史」シリーズは続きます。


これまで書いてきたように、わたしは自分でも「浪費家である」という自覚があります。
欲しいもの、したいことがあると、それを止められない。
だって欲しいんだから、したいんだから、お金が掛かるのは仕方がない…そんな風に思ってお金を使ってきました。

その結果が、今の「このざま」なわけです。


そうしてお金を使ってきた中でも、もっとも使ってしまったこと…
それは実はまだ、このブログには登場していないことです。

できれば、書きたくない。
ほんとうはそこは、濁しておきたい…。
なんならここまで書いてきた「借金に至るまでのお話」は、それを書きたくないが為の長い回り道だったような気さえします。

でもそこに触れずにいては、ここまでの借金に至る「歴史」が嘘になってしまいます。
現実に向き合うと言っておきながら、いちばん見なければいけない現実から目を背けることになってしまいます。

だから、書きます…。
もうこれは失笑ものだと思うので、もう笑うなりバカにするなり、してください。


当時のわたしは、いわゆる「追っかけ」でした。

学生時代とても好きになった、あるバンドがありました。
バンドはその後解散し、バンドメンバー達はいくつかに形を変え、それぞれ音楽を続けていきました。
そしてわたしはそのうちの一つに、学生時代好きだったバンド以上にハマっていくことになりました。

最初は、地元でのLiveに足を運ぶだけでした。
それが、就職した翌年くらいでしょうか…はじめて、地方に行ってみることにしました。
その地方というのがバンドメンバーの一人の出身地であり、ファンとしてはとても思い入れのある場所だったからです。

その頃、ファンクラブを通して友達ができていました。
その友達もその場所へ行くというので心強かった、というのもあります。

現地で初めて出会うことになる友達。彼女が「追っかけ」であることを、その時知りました。
なんなら「追っかけ」がどんなものであるかも、よくは分かっていませんでした。
彼女たちは、いわゆる「出待ち」「入り待ち」(会場の入り口にいて、出入りするメンバーを見たり握手したりお話をしたりする)、それから駅や宿泊先で待ったり、打ち上げの店の前で出てくるのを待ったり、と、そんなことをしている人たちでした。

ステージにいる遠い人に、ステージ以外の場所で逢える。
運が良ければお話ができたり、握手ができたりする。
そんなことができるなんて!!

ほんとうに、びっくりしました。

今にして思えば、彼女たちもよく私を仲間に入れてくれたものだと思います。
普通「追っかけ」をしてる人たちってライバル意識がとても強く、その仲間が増えるのを嫌う傾向にあるからです。
…わたしがあまりに何も知らなかったので、警戒する必要もなかったのかもしれませんが。


わたしの「追っかけ」は、その時が最初でした。
彼女たちと一緒に、打ち上げをしているお店からメンバーが出てくるのを待つのです。

でもその時は、実はわたしが一番好きだったメンバー(その街が地元であるメンバーとは別の人)は、体調不良により既に東京に戻っており、不在でした。
なので、打ち上げのお店から出てきた彼らやその彼らに話しかけていく友達に興奮しつつも、わたしはそれを離れたところから眺めているだけでした。

それでも、「地方にくればこんなことができるんだ…」ということを知るには、充分な体験でした。



それから数か月。
彼らがLiveで、わたしの住む地方にやってきました。

普通にLiveを楽しみ、その翌日…休日だったのをいいことに、わたしは彼らの宿泊先に行って、彼らが出てくるのを待ちました。

あんなに心臓がばくばくしたのは初めてだったかもしれません。
出てきた彼(わたしが一番好きだったメンバー)に、サインをお願いしたのでした。

その時のことは、もう20年も前のことなのに、よく覚えています。
彼はサラサラとサインをし、その下に「To」と書きながら「名前は?」と聞きました。
わたしが下の名前を言うと、ちょっと珍しい名前であるせいか聞き返され、もう一度繰り返しました。
彼はわたしの名前をつぶやきながらローマ字でわたしの名前をToの後ろに書くと、「変わってるね」って言いました。

たったそれだけだったけど、わたしにとっては、物凄く素敵な出来事でした。20年経っても忘れられない程の。
ですがこの時、20年前の自分を振り返って敢えて悪い言い方をするなら…わたしは「味をしめた」のでした。

それからは、ツアーがあると地方にも出かけていくようになりました。
勿論全部というわけにはいきませんし、行っても追っかけはせずにLiveだけ観て帰ることも多かったですが、土日を中心に、ツアーの日程の中で続けてまわりやすいところを選んで、友達とも相談して、行き先を決めました。

そして次の追っかけでの出来事が、わたしの「追っかけ生活」に拍車をかけました。

わたしははじめてサインをいただいたあと、時折その相手の方にファンレターを出すようになっていました。
事務所に送ったり、会場でスタッフの方に預けたり…本人の手元にちゃんと届いているかはわかりませんでしたが、次に会うまでの間に2、3通は書いたと思います。

2度目にその人に会ったのは、ある地方で宿泊先から会場へと向かうために出てきた時だったと記憶しています。持参していた手紙を渡すと…手紙を手渡しするのは初めてだったのですが…彼は封筒の裏を見て差出人(わたし)の名前を確認すると、「いつも手紙ありがとう。」と言ってくれました。

名前と、何度か手紙を出していることを認識してくれている…ということにびっくりすると同時に、物凄くうれしかったのを覚えています。

さらに…その時渡した手紙にはある質問のようなことを書いていたのですが、その夜打ち上げに向かう彼らに遭遇した際、彼はわたしを見つけると、近寄ってきてその質問に答えてくれたのです。

まだ会うのが2度目なのに、名前だけじゃなく、わたしを顔でも認識してくれている…
もう、わたしは有頂天でした。
そしてその有頂天具合が、わたしの行動に拍車をかけました。
彼に対してエスカレートするというのではなく…「追っかけのために地方に行く」ことがエスカレートしていきました。

地方に行くには、当然お金が掛かります。

交通手段には出来るだけ夜行バスを使うようにしていました。
新幹線なんてぜいたく品でした。
前回書いたようにわたしには毎月払っているローンがありましたし、わたし以上に追っかけに精を出している友達も、できるだけ交通費は絞りたいようでした。

宿泊も場所にもよりますが、シングルの部屋に(本当はいけないことなんですが)こっそり2人や3人で泊まったりすることもありました。

当時はまだ、インターネットが普及していませんでした。
だから節約はしているつもりでも、「格安の○○」みたいなものを知る機会も術もなく…たとえばはじめて北海道まで足を延ばした時には、航空会社に電話して定価のチケットを買っていました。(わたしにとってはそれが人生初の飛行機の旅でした) わたしの住む関西から北海道へ…片道で3万超えていました。今だったら、3万出せば往復航空券とホテル宿泊のついたパックツアーがあるというのに…。

それらの殆どをカードで払っていました。
当時は「リボ払い」という存在を知りませんでした。当時からあったかどうかは知りませんが少なくともわたしは認識しておらず、カードで払って、給料をつぎ込んで返済して、足りない分はカードで買い物して補って…「借りて返して借りて返して」を繰り返す日々がすぐにやってきました。
それでも、リボじゃなかった分、今よりも健全な借金だと言えなくないかもしれませんが。

どんどんお金は苦しくなりますが、わたしの追っかけ頻度もエスカレートしていきます。

いつもツアーをしているわけではなく、せいぜい年に2回程度でしたので、ツアーのない期間になんとか赤字を補填して、ツアーがはじまるとまた一気に借金が増える…みたいな生活でした。

そして久しぶりにツアーがあって、そして追っかけに行っても、半年ぶりに逢うその人はまだわたしを覚えていてくれ、サインをお願いすると名乗らなくても「To」のあとにわたしの名前を書いてくれるようになっていました。

だんだん、その人からちょっとだけ「特別扱い」をしてもらえている事に気づきはじめていました。自惚れではなく。
でも、鈍いわたしが気付くんですから、周囲も気付いていたんだと思います。

わたしはだんだん、身近だった周囲の友達から妬まれるようになりました。
その頃はたくさん友達ができましたが、同時にたくさんの友達を失いました。
今なら、なんとなくわかります。嬉しそうに彼との出来事を報告するわたしは、さぞ自慢げだったでしょう。ライバル意識の高い追っかけの人たちには、相当鼻についたことでしょう。

無視とか嫌がらせもされました。
それでも、追っかけはやめられませんでした。

その頃には、その好きだった人と電話で話をするようになっていました。
追っかけの時に2人で話していたある日、その人から電話番号を聞かれたのがキッカケです。

当時は携帯電話なんて普及していませんでしたので、そしてまだ実家に暮らしていましたので、結構大変だったです。
メジャーな人じゃないので名前を聞いても家族は「普通の彼氏か友達だろう」と思ってたでしょうが、わたしとしても話を聞かれたくないもので、掛かってきた時には子機を持ってガレージに籠ったりとか、掛ける時もガレージから掛けたり、公衆電話から掛けたりもしてました。

勿論、電話のことは周囲には内緒です。その人も誰にも言ってなかったと思います。

その人はわたしには「憧れのミュージシャン」であり、実際ほかに付き合ってる人もいました。
その人にも彼女がいたし、その彼女を会場で見ることもありました。見かけても全然平気でした。
だから恋愛感情とかではなく、あくまでも「ミュージシャンとファン」の関係でした。

でも、距離が近づくたびに、ファンとしての気持ちも募っていきました。
追っかけで行く地方も増えていき、使うお金も増えていきました。

そのうち、そのバンドは再び活動を休止することになりました。
わたしが好きだった人は、また別の形で音楽をやっていくことになりました。

わたしはそこでも、追っかけでした。
金銭的にもきつくなる一方でした。

借りて、返して、返済にボーナスもつぎこみました。
追っかけだけではなく、会社の人たちとの普通の付き合いもありました。
冬になるとスキーに行ったりして、一気にウエアをそろえたりもして、そっちのローンも増えていました。

バブルは、とうにはじけていました。
入社した時よりもボーナスは激減し、年収は下がっていました。
なのに借金は増えていきます。


そしてある時とうとう、来月返すお金がない!っていうところにまで追い込まれました。

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  1. 2012/08/11(Sat) 23:49:34 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

鍵つきでコメントくださったHさま

コメントありがとうございます。
しかも、労っていただいて…ほんとにありがとうございます。

そうですね、たくさんお金を使ってしまったけど、でも後悔しているかといえばそうではない…
わたしにとっては貴重な時間だったし経験でした。
借金しないでその経験ができていれば良かったんですよね。

返済、長い道のりですが、これからもがんばっていきますね。
  1. 2012/08/14(Tue) 22:21:41 |
  2. URL |
  3. ぷに #-
  4. [ 編集 ]

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