独身アラフォー干物OL。借金323万円。

現実にきちんと向き合い、借金ゼロになるまでの日々を綴ります。




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借金以前① (子供時代) :: 2011/06/18(Sat)
「わたしと家族」のところで少し触れましたが…
うちには、親の借金がありました。
父が仕事がらみで作った借金でした。中学1年生の頃です。

それ以前から、うちは決して裕福な家庭ではありませんでした。
両親の実家(すごく田舎)は土地や山も持っていて、はたから見ると裕福なようにみえましたが、3男坊の父にはその財産は受け継がれてはいませんでした。

つつましい家庭だったと思います。
小さな借家に住んでいました。
個人の部屋など当然ありませんでした。年のはなれた兄の学習机があったのは、なんと台所でした。

「お小遣い」を貰うようになったのは、小学校の2年生くらいからだったでしょうか。
最初は200円。それから学年があがるごとに、100円づつ上がっていきました。
とはいえお金を使うのはせいぜい月に一度、「りぼん」か「なかよし」を買うくらいだったので、少ないと感じたこともありませんでした。

中学生になると、お小遣いは一気にアップしました。…1000円に(笑)

お友達よりも少なかったと思います。
それでも人間的に地味だった(笑)こともあって、不便は特に感じませんでした。

その頃には、マンションを購入して引っ越していました。
マンションの購入資金は…これは大人になってから知ったことですが、実は国から出た、ある保証金でした。
兄にはある障害があり、その保証金として国からお金が出たのでした。
そのお金で、兄の名義にしてマンションを購入したということでした。
保証金がいくらだったかは、今も知りません。

そしてそのマンションが、今の実家です。

台所で勉強をしていた兄には個室ができ、わたしには姉と共同に使う部屋が割り当てられました。はじめての、自分の部屋です。
当時から「片付けられない女」だったわたしは、自分側の部屋の半分を、いつもいつも散らかしていました。
もう半分の姉のエリアは、いつもきっちりと片付いていました。
今にして考えると、姉には本当に申し訳なかったなと思います…。

そうやってお金が出てマンションを購入したあとも、生活に変化はありませんでした。
父が借金をつくって姿を消すまでは。

遺書さえ残して失踪した父でしたが、数週間後に無事に戻ってきてくれました。

それからが、借金返済の日々でした。
単純に「家を売ってそのお金で返せばいい」と考えることはできましたが、それは父が拒みました。「家は手放すな」というのは、父の遺書にも書かれていたことでした。
兄の障害に対して出たお金で、兄の名義で買った家だったため、それを親の都合で手放すことはどうしても避けたかったようでした。(その事情も、兄に障害があることも、その頃のわたしは知りませんでした。)

以前書いたように、借金は親戚の助けで、一旦清算することができました。
それ以降は、親戚に対して少しづつ返済していくことになりました。

仕事上で作った借金だったため、父は退職していました。(辞職ではなく、解雇でした。)
暫く家にいて持病の治療などをしたあと、仕事を見つけてまた勤務するようになりました。
専業主婦だった母は、その頃既に50歳くらいになっていましたが、パートに出るようになりました。

子供の頃から、お年玉はそのまま母に全て渡し、貯金していました。
姉とわたしのその貯えは、家族の生活費として一瞬にして消えていきました。

「授業料の安い県立高校に行って、アルバイトして自分で授業料を払おう」誰に何を言われたわけでもなく、中学1年生のわたしは自然とそう思っていました。
そして、それを実行しました。

(長くなったので、一旦中断します。続きます。)

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