独身アラフォー干物OL。借金323万円。

現実にきちんと向き合い、借金ゼロになるまでの日々を綴ります。




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番外編:昔の通帳が出てきました。 :: 2012/09/02(Sun)
昨日、そして今日と、地味に片付けをしています。

凄く集中して掃除しているわけではないし(いつもの癖です)、洗濯などの着るものの整理のほかには、机の下の引き出しの中みたいなこまごましたスペースを片付けてたので、見た目に大きな変化はないのですが。

で、その引き出しの中から、昔の預金通帳が出てきました。
これは今もメインで使っている給与振込の口座のもので、20年ちょい前…入社して数年後くらいに使っていたものです。期間にして1年くらいかな。
貸越の限度額が20万円(今は100万円)だった頃。


なんというか、我ながら「目を覆いたいような」と言いますか…。
かなり、だらしない通帳でした。

給料が振り込まれると同時に数万円引き出し、さらに数日後、また数日後…という感じで、数万円単位で引き出しています。
(給料日を数日過ぎるともう通帳残高がマイナスになっているので、その場合は「引き出し」ではなく「借り入れ」なのですけども…。)

引き出したあと何に使ったのかは通帳では判明しませんが…まあおおかた、おっかけとか食べることとかに使っていたんだろうなあ、と思います。

毎月、「21,400円 - ジャックス」という記載があります。年に二度、ボーナス月にはプラス10万円を払っています。
ちなみにこれは、「借金の歴史」シリーズの中で書きました、エステティックサロンへの支払い分です。

記憶がどうしてもないんですが、毎月5,000円を、「トウキョウソウゴウシンヨウ」てところに支払っているようです。なんのお金だったんだろう。
あとは当時メインで使っていたJCBカードに、少ないときは数千円、多い時で8万円!とか、支払ってます。
どこへだかわからない、「フリコミ」というのもありました。何買ったんだろう…。

なんというか、引き出すペースや額やタイミングや残高を見てて、「切羽詰ってるんだろうなあ」っていうのは容易に推測できる…そんな通帳です。

当時はローンは抱えてますが、まだリボとかを知らなかった頃なので、普通に次の給料で一括で返済していて…苦しいながらもそれで凌げていたように思います。
カードでキャッシングをするようになったのはいつ頃だったか…この頃はまだ、ショッピングにしか使っていなかったんじゃないかなあ。

この状態を悪化させて、今に至ってるわけですね…。

この通帳は、戒めの為にも暫くは手元に残しておこうと思います。

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  1. 借金の歴史
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友情と借金(入社3年目頃の出来事) :: 2012/08/12(Sun)
「借金の歴史」シリーズ。
昨日はいちばん書きづらかったことに、とうとう触れてしまいました。

追っかけのことを知ってる人はいましたが、電話のことは昔も今も人に話したことが無かったので、昔の出来事であるにもかかわらずなんかドキドキしてしまいました。(書いた後に何度か消そうかとも思いました…)

昨日の記事は「返すお金がなくなった」という大ピンチのところで終わっていて、本来その続きから始めるべきだしそのつもりだったんですが…
できるだけ時系列で書こうと思っているこの「借金の歴史」シリーズの中で、昨日の記事の前に書くべきだった出来事を書き漏らしていたことを思い出しましたので…
今回はちょっと後戻りして、別のことを書きます。


就職して3年目頃の出来事です。
昨日の記事と時期はかぶってるんですが、ちょっと系統の異なる出来事なので、別にして書きます。


高校生の頃、ある友達がいました。仮にMとします。
入学してすぐにできた友達です。クラスと部活が同じで、席も近くて、自然に仲良くなりました。

以前この「借金の歴史」の中で高校時代のアルバイトのことにも触れましたが、その頃わたしがアルバイトをしている事を唯一知っていたのが、このMでした。

と言ってもわたしが話したわけではなく。
わたしは校則が厳しかったこともあり誰にも秘密にしていたのでしたが、同じショッピングセンターの中の別の店のパートさんが実はMの親戚で、Mに「○○高校の子が××でバイトしてるみたいよ」と話したせいで、Mが見に来てみたらそこにわたしがいて、Mにバイトがバレた…という、そんな出来事のせいでした。

家の借金のことはMには話しませんでしたが、事情があってバイトをしている旨をMに話しました。
Mは黙っていてくれました。
そのショッピングセンターは自宅と学校との中間地点にあり、自宅からはバスに乗って行かなければならなかったのですが、ショッピングセンターの近所に住んでいたMは、土曜日など学校が終わってからバイトまで時間がある時なんかは家に呼んでくれ、ご飯を食べさせてくれたりしました。
その頃のことは今も感謝しています。

その後わたしは2年制の専門学校へ、Mは4年制の大学へと進学します。
当然わたしが先に就職をしたのですが、その頃も交流は続きました。
Mが就職活動をする頃になると、わたしも自分の経験を話したりして…その頃わたしは就職した職場で楽しく過ごしていたので、そんな話もして…そのせいもあったらしく、彼女も結果、同じ業種に就職しました。

が、就職してからの彼女は荒れていきました。
どうも就職して付き合い始めた人が、…詳細は書けないのですが、いわゆる「クスリ」などをやっているひとだったようで。(その後彼は警察に捕まったそうです)
彼女自身、勧められてクスリを使用したこともあったそうです。
ともあれ、その人との付き合いや別れの中で精神的にダメージを受け、なんというか…男性に対して奔放になってしまい、知り合ったばかりの男性と手当り次第にホテルに行ったりとか、そういうこともあったそうです。

それらは全て、あとになって「過去の出来事」としてMから聞かされました。
しばらく連絡を取り合っていない間に、そういう出来事があったとのことでした。

でも、彼女は「もう立ち直ったから!」と明るく話してくれました。
そして今は、「仕事と並行して、これを頑張っていくから!!」と…

…それが、「アムウェイ」でした。

「アムウェイ」のことは、知っていました。
その昔、兄がちょっとだけ齧ったことがあったからです。もっとも兄は、母や妹であるわたし達にこまごましたものを売りつけるだけで、友達もいないのでそれ以上拡げようがなく、すぐにやめてしまいましたが。

その後も職場の先輩に勧誘されたことなんかもあって(申し訳程度に化粧品だけ買いました…先輩は鍋が売りたかったようでしたが…)、なんというか、「困ったシステムだなあ」という、あまりよろしくない印象をずっと、持っていました。

いや、おそらく、いい面もあるのでしょうけど。
これはアムウェイを否定する記事ではないので、その点はご了承願います。


もともと、Mはアムウェイの近いところにいました。
なんでも親戚夫婦が、「ダイヤ」とかいう…アムウェイのビジネスの中でもかなり成功した部類の、上のほうにいる立場の人だということで、その話は高校時代にMから聞かされていました。
でも、本人は「自分は関係ない」というスタンスでした。当時は。

今回アムウェイをやることになったというのはその親戚つながりなのかと思っていましたが、実は別ルートでした。
Mが荒れていた時期…わたしとの連絡が途絶えていた時期に親しくしていたのが、わたしとも共通の友人であるKだったそうで。最終的には一番Mが荒れていた時期にMを救い出したのが、Kだったとのことでした。(具体的に言うと、荒れて知らない相手とホテルに行ってから我に返ったMが電話で助けを求め、そのMをホテルまで迎えに行ったのがKでした)
Kも、高校時代の友人です。

そのKはその頃結婚していて、そして夫婦でアムウェイをやっていました。
そしてMは恩人であるKの下で、アムウェイをはじめたとのことでした。

Kの家に遊びに行こうとMに誘われ、行ってみると…
アムウェイの勧誘を受けたことのある方は「ああ…」って思うんじゃないかと思うのですが、まあ、知らない人がほかにもたくさんいました。(苦笑)

そのあとはもうご想像どおりと言いますか…
職場の先輩の家でも見た洗剤や鍋のデモンストレーションを見せられたり、アムウェイの仲間との友情物語を聞かされたり、いろいろでした。

正直、アムウェイのことはどうでもよかったのです。
わたしの中では、辛かったMがそこから立ち直って、今これで頑張ろうとしている…そのことが大きかったのです。

今にして思えば、見栄っ張りな性格も災いしたのでしょう。
「頑張ろうとしているMの助けになるのなら」と思ってしまったのです。

KとMの勧めで、化粧品一式をそろえました。
基礎化粧品だけでなく、口紅全色、マニキュア全色、チーク全色…
メイク道具一式がしまえる黒いケースも入れて、10万程だったでしょうか。

今思えば、それら一式が、発注と納品を待つこともなく、その日その場で全て揃ったのもおかしかったです。
この狭い家(一人で住むような1Kに夫婦で住んでいた)のどこにそんな収納力があるんだろう…ってその時は思ってたのですが、もしかして何もかも計画済みだったのかもしれませんね。

とにかくその10万程の化粧品一式を、月々5千円のローンでその場で買いました。

頑張って売って、拡げていこう!みたいなことも言われましたが、とりあえずわたしにはその気はありませんでした。
とりあえず、Mへの応援の意味で買っただけ。
現に、一度たりともほかの人に勧めたことなどありませんでした。

化粧品は、使えるものは使い、色が合わなかったり濃すぎたりするようなものは、何年か経ってから、捨てました。
その後、KやMから勧誘されたり売るよう強制されたりするようなこともありませんでした。


数年後、別の高校時代の友人の結婚式で、久し振りにMに会いました。

Mに「そういえば」みたいな感じで「あの時のアムウェイってその後どうしたん?」と聞かれ、「そのまま持ってるよ」って答えました。
すると、Mは言いました。

「ええー!返品せんかったん?あたしすぐに全部返品してお金返してもらったで!」


…M…。

なんだかもう、言葉を返すのもバカらしくなって、何も言いませんでした。
「Mを応援するために買ったのに」とか、「返品するなら、なんでその時にわたしにも伝えてくれなかったのか」とか、いろいろ思ったことはあったのですが…もう、この時点で「あ、だめだ」って思いました。

Mとの縁は、途絶えました。
年賀状のやり取りすらしていません。

長い借金の歴史の中で、友達が絡んだのはこれだけです。
それだけに、なんというか、苦い思い出になりました。



余談ですが…数年後Kのほうは、ヤフオクで詐欺をした罪で逮捕されました。
電化製品をカードで買ってヤフオクで売るという自転車操業で、借金の返済をしていたそうです。
それがうまくいかなくなり、お金だけ受け取って商品を発送できなくなり、訴えられたそうです。


今になって、わたしも一歩間違えばKのようになっていたかもしれない…と思うことがあります。
その頃は、自分自身借金をしているくせに切羽詰ってはいなかったせいで、わが身に置き換えて考えることはできなかったけれど。

Kも、詐欺を働くつもりはなかっただろうな。
なんとかその場の借金を凌げればいいと必死で、それだけだったんだろうな。
その気持ちは、今ならわかります。

ふたりとも、今どうしているんだろう。
でもとりあえず、アムウェイには関わってないような気はします。

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止まらない自分(就職、それからの日々) :: 2012/08/11(Sat)
「借金の歴史」シリーズは続きます。


これまで書いてきたように、わたしは自分でも「浪費家である」という自覚があります。
欲しいもの、したいことがあると、それを止められない。
だって欲しいんだから、したいんだから、お金が掛かるのは仕方がない…そんな風に思ってお金を使ってきました。

その結果が、今の「このざま」なわけです。


そうしてお金を使ってきた中でも、もっとも使ってしまったこと…
それは実はまだ、このブログには登場していないことです。

できれば、書きたくない。
ほんとうはそこは、濁しておきたい…。
なんならここまで書いてきた「借金に至るまでのお話」は、それを書きたくないが為の長い回り道だったような気さえします。

でもそこに触れずにいては、ここまでの借金に至る「歴史」が嘘になってしまいます。
現実に向き合うと言っておきながら、いちばん見なければいけない現実から目を背けることになってしまいます。

だから、書きます…。
もうこれは失笑ものだと思うので、もう笑うなりバカにするなり、してください。


当時のわたしは、いわゆる「追っかけ」でした。

学生時代とても好きになった、あるバンドがありました。
バンドはその後解散し、バンドメンバー達はいくつかに形を変え、それぞれ音楽を続けていきました。
そしてわたしはそのうちの一つに、学生時代好きだったバンド以上にハマっていくことになりました。

最初は、地元でのLiveに足を運ぶだけでした。
それが、就職した翌年くらいでしょうか…はじめて、地方に行ってみることにしました。
その地方というのがバンドメンバーの一人の出身地であり、ファンとしてはとても思い入れのある場所だったからです。

その頃、ファンクラブを通して友達ができていました。
その友達もその場所へ行くというので心強かった、というのもあります。

現地で初めて出会うことになる友達。彼女が「追っかけ」であることを、その時知りました。
なんなら「追っかけ」がどんなものであるかも、よくは分かっていませんでした。
彼女たちは、いわゆる「出待ち」「入り待ち」(会場の入り口にいて、出入りするメンバーを見たり握手したりお話をしたりする)、それから駅や宿泊先で待ったり、打ち上げの店の前で出てくるのを待ったり、と、そんなことをしている人たちでした。

ステージにいる遠い人に、ステージ以外の場所で逢える。
運が良ければお話ができたり、握手ができたりする。
そんなことができるなんて!!

ほんとうに、びっくりしました。

今にして思えば、彼女たちもよく私を仲間に入れてくれたものだと思います。
普通「追っかけ」をしてる人たちってライバル意識がとても強く、その仲間が増えるのを嫌う傾向にあるからです。
…わたしがあまりに何も知らなかったので、警戒する必要もなかったのかもしれませんが。


わたしの「追っかけ」は、その時が最初でした。
彼女たちと一緒に、打ち上げをしているお店からメンバーが出てくるのを待つのです。

でもその時は、実はわたしが一番好きだったメンバー(その街が地元であるメンバーとは別の人)は、体調不良により既に東京に戻っており、不在でした。
なので、打ち上げのお店から出てきた彼らやその彼らに話しかけていく友達に興奮しつつも、わたしはそれを離れたところから眺めているだけでした。

それでも、「地方にくればこんなことができるんだ…」ということを知るには、充分な体験でした。



それから数か月。
彼らがLiveで、わたしの住む地方にやってきました。

普通にLiveを楽しみ、その翌日…休日だったのをいいことに、わたしは彼らの宿泊先に行って、彼らが出てくるのを待ちました。

あんなに心臓がばくばくしたのは初めてだったかもしれません。
出てきた彼(わたしが一番好きだったメンバー)に、サインをお願いしたのでした。

その時のことは、もう20年も前のことなのに、よく覚えています。
彼はサラサラとサインをし、その下に「To」と書きながら「名前は?」と聞きました。
わたしが下の名前を言うと、ちょっと珍しい名前であるせいか聞き返され、もう一度繰り返しました。
彼はわたしの名前をつぶやきながらローマ字でわたしの名前をToの後ろに書くと、「変わってるね」って言いました。

たったそれだけだったけど、わたしにとっては、物凄く素敵な出来事でした。20年経っても忘れられない程の。
ですがこの時、20年前の自分を振り返って敢えて悪い言い方をするなら…わたしは「味をしめた」のでした。

それからは、ツアーがあると地方にも出かけていくようになりました。
勿論全部というわけにはいきませんし、行っても追っかけはせずにLiveだけ観て帰ることも多かったですが、土日を中心に、ツアーの日程の中で続けてまわりやすいところを選んで、友達とも相談して、行き先を決めました。

そして次の追っかけでの出来事が、わたしの「追っかけ生活」に拍車をかけました。

わたしははじめてサインをいただいたあと、時折その相手の方にファンレターを出すようになっていました。
事務所に送ったり、会場でスタッフの方に預けたり…本人の手元にちゃんと届いているかはわかりませんでしたが、次に会うまでの間に2、3通は書いたと思います。

2度目にその人に会ったのは、ある地方で宿泊先から会場へと向かうために出てきた時だったと記憶しています。持参していた手紙を渡すと…手紙を手渡しするのは初めてだったのですが…彼は封筒の裏を見て差出人(わたし)の名前を確認すると、「いつも手紙ありがとう。」と言ってくれました。

名前と、何度か手紙を出していることを認識してくれている…ということにびっくりすると同時に、物凄くうれしかったのを覚えています。

さらに…その時渡した手紙にはある質問のようなことを書いていたのですが、その夜打ち上げに向かう彼らに遭遇した際、彼はわたしを見つけると、近寄ってきてその質問に答えてくれたのです。

まだ会うのが2度目なのに、名前だけじゃなく、わたしを顔でも認識してくれている…
もう、わたしは有頂天でした。
そしてその有頂天具合が、わたしの行動に拍車をかけました。
彼に対してエスカレートするというのではなく…「追っかけのために地方に行く」ことがエスカレートしていきました。

地方に行くには、当然お金が掛かります。

交通手段には出来るだけ夜行バスを使うようにしていました。
新幹線なんてぜいたく品でした。
前回書いたようにわたしには毎月払っているローンがありましたし、わたし以上に追っかけに精を出している友達も、できるだけ交通費は絞りたいようでした。

宿泊も場所にもよりますが、シングルの部屋に(本当はいけないことなんですが)こっそり2人や3人で泊まったりすることもありました。

当時はまだ、インターネットが普及していませんでした。
だから節約はしているつもりでも、「格安の○○」みたいなものを知る機会も術もなく…たとえばはじめて北海道まで足を延ばした時には、航空会社に電話して定価のチケットを買っていました。(わたしにとってはそれが人生初の飛行機の旅でした) わたしの住む関西から北海道へ…片道で3万超えていました。今だったら、3万出せば往復航空券とホテル宿泊のついたパックツアーがあるというのに…。

それらの殆どをカードで払っていました。
当時は「リボ払い」という存在を知りませんでした。当時からあったかどうかは知りませんが少なくともわたしは認識しておらず、カードで払って、給料をつぎ込んで返済して、足りない分はカードで買い物して補って…「借りて返して借りて返して」を繰り返す日々がすぐにやってきました。
それでも、リボじゃなかった分、今よりも健全な借金だと言えなくないかもしれませんが。

どんどんお金は苦しくなりますが、わたしの追っかけ頻度もエスカレートしていきます。

いつもツアーをしているわけではなく、せいぜい年に2回程度でしたので、ツアーのない期間になんとか赤字を補填して、ツアーがはじまるとまた一気に借金が増える…みたいな生活でした。

そして久しぶりにツアーがあって、そして追っかけに行っても、半年ぶりに逢うその人はまだわたしを覚えていてくれ、サインをお願いすると名乗らなくても「To」のあとにわたしの名前を書いてくれるようになっていました。

だんだん、その人からちょっとだけ「特別扱い」をしてもらえている事に気づきはじめていました。自惚れではなく。
でも、鈍いわたしが気付くんですから、周囲も気付いていたんだと思います。

わたしはだんだん、身近だった周囲の友達から妬まれるようになりました。
その頃はたくさん友達ができましたが、同時にたくさんの友達を失いました。
今なら、なんとなくわかります。嬉しそうに彼との出来事を報告するわたしは、さぞ自慢げだったでしょう。ライバル意識の高い追っかけの人たちには、相当鼻についたことでしょう。

無視とか嫌がらせもされました。
それでも、追っかけはやめられませんでした。

その頃には、その好きだった人と電話で話をするようになっていました。
追っかけの時に2人で話していたある日、その人から電話番号を聞かれたのがキッカケです。

当時は携帯電話なんて普及していませんでしたので、そしてまだ実家に暮らしていましたので、結構大変だったです。
メジャーな人じゃないので名前を聞いても家族は「普通の彼氏か友達だろう」と思ってたでしょうが、わたしとしても話を聞かれたくないもので、掛かってきた時には子機を持ってガレージに籠ったりとか、掛ける時もガレージから掛けたり、公衆電話から掛けたりもしてました。

勿論、電話のことは周囲には内緒です。その人も誰にも言ってなかったと思います。

その人はわたしには「憧れのミュージシャン」であり、実際ほかに付き合ってる人もいました。
その人にも彼女がいたし、その彼女を会場で見ることもありました。見かけても全然平気でした。
だから恋愛感情とかではなく、あくまでも「ミュージシャンとファン」の関係でした。

でも、距離が近づくたびに、ファンとしての気持ちも募っていきました。
追っかけで行く地方も増えていき、使うお金も増えていきました。

そのうち、そのバンドは再び活動を休止することになりました。
わたしが好きだった人は、また別の形で音楽をやっていくことになりました。

わたしはそこでも、追っかけでした。
金銭的にもきつくなる一方でした。

借りて、返して、返済にボーナスもつぎこみました。
追っかけだけではなく、会社の人たちとの普通の付き合いもありました。
冬になるとスキーに行ったりして、一気にウエアをそろえたりもして、そっちのローンも増えていました。

バブルは、とうにはじけていました。
入社した時よりもボーナスは激減し、年収は下がっていました。
なのに借金は増えていきます。


そしてある時とうとう、来月返すお金がない!っていうところにまで追い込まれました。

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就職、そしてあらたな借金(新入社員時代) :: 2012/08/05(Sun)
1年以上放置してきてしまった、「借金の歴史」シリーズ。(シリーズだったらしい)
これからどんどん恥ずかしい状況に触れていくので、どうしても躊躇してしまい、先延ばしにしていました。

でも、ちゃんと過去も見つめていかないと。


前回、ローンを抱えたまま就職したところまで書きました。
今回は就職してからのお話になります。


バブル期だったため、同期はたくさんいました。
でも大卒社員が2か月の集中した研修を受けるなか、専卒のわたしたちは1週間も経たないうちに各部門に配属されました。
わたしの所属部門に配属された同期8名のうち専卒はわたし一人だけだったので、ひとりきりでの心細い配属でした。

うちの職場には、当時は業務によっての職種の区分はありませんでしたが、仕事は今でいう「専門職」。
仕事はいきなり実践でした。

配属部門には幸い、グループは違いましたが1年上に同じ専門学校の先輩にあたる社員がいらっしゃり気にかけてくださり、ほかの先輩社員の方々にも親切にしていただけ、とにかくまず、がむしゃらに仕事を頑張りました。

専門学校に通いながらバイトをしていた頃の「1日5食の生活」は落ち着き、規則正しい生活と1日3食の生活に戻り…緊張も手伝ったのでしょう、2か月で体重が5キロも減りました。(元が太っていたので、それでもまだぽっちゃりさんですが)


やがて、研修を終えた大卒社員が一斉に配属されます。

2か月に渡って集団で研修を受けていた彼らは既にすっかり仲良くなっており、専卒のわたしは疎外感を感じたりもしました。
大卒の彼らはみな年齢も2~3歳上ですし、華やかな感じもあって、なんとなく苦手意識みたいなものもありました。

でも、彼らはわたしを疎外することはなく、分け隔てなく仲良くしてくれました。
大卒の方々も2か月の研修を受けたとはいえ、2年間専門学校で学び既に2か月の実践も経験しているわたしとはこの時点ではどうしても知識の差がありましたので(なんだか自分自慢のような文章で恐縮ですが、あくまでもこの時点だけの話です)、わたしを頼りにもしてくれました。

思いがけず、「楽しいな」と思える会社生活になりました。

同期だけでなく先輩方にも親切にしていただけ、しょっちゅう飲みにいくようになりました。
ごちそうしていただいたり多めに出していただいたりすることも多かったですが、同期と飲みに行く時は当然ワリカンですので、この頃の交際費だけでも結構な額になったんじゃないかなあ、と思います。

最初のうちは会議室で女子の皆さんと昼食をとっていましたが、そのうちそのしきたり(誰かがみんなの分のお茶を入れて、パンやお弁当を買いに行った人も含めて全員がそろうのを待ってから一斉に食事をはじめて、終わったら誰かがみんなの分のマグカップとお弁当箱を洗って…みたいなの)が窮屈になり、同期のひとりと共に毎日お昼も外食するようになりました。
千円前後のランチを、毎日食べていました。

バブル期とはいえ、新入社員の手取りなんてしょぼいもんです。(いまもしょぼいですが)

その給料の中から、家には毎月3万円を入れることになっていました。
これはよくあるように「親が代わりに貯めておいてくれる」とかいう性質のものではなく、家族の「生活費」としての役割でした。
以前書いたようにもともと家には父親のつくった借金がありますので、これは仕方のないことだと思っていました。

そして、学生時代からのローンの支払いがありました。
教習所のローン、化粧品のローン。
CDラジカセ(←時代)のローンなんていうのも加わっていました。
毎月3~4万円払っていたと思います。

そのうえで、前述した外食の日々です。
給料は見る見るうちに消えていきました。
毎月、かつかつの生活でした。

それでも自宅暮らしだったので、なんとかやっていけていました。


そのうち、いつもお昼を一緒にしていた同期が「エステに行きたい」と言い出しました。

雑誌の広告にいくつも載っていたエステティックサロンの広告…それに気をとめたことはありましたが、自分には縁のないものだと思っていました。ああいうのは、派手なお金持ちが行くところだと。

でも、同期の彼女が行くことにするという。
意外と身近なものなのかな?という興味と、年相応に「綺麗に痩せたいな」という気持ちも出てきて…まず、説明を受けることになりました。
他のところは知りませんが、そこは電話すると、「まずは説明を聞きにお越しください」ということで…電話での説明は一切しない、質問にも一切答えない、なんでも「対面」のみで、ということでした。

ちょっと怖かったけど予約をとり、出かけていきました。
そのエステは家からは職場を挟んで逆方向にあり、駅からもちょっと歩く場所にありました。
今にして思えば「もっと通いやすいところにすれば」と思うのですが、やはり「同期の子も通うところ」ということで心強かったのでしょう。

かくして、説明を受けます。
説明というか…なんというか…そこはもう、勧誘のプロのもとにドシロウトが自ら足を踏み入れてしまったわけですので、説明イコール、契約みたいなもんでした。
「うわー高い」と驚くもののあれよこれよと言い含められ、50万円ものローンを組んでしまいます。
月々2万円の返済です。総額で言えば70万円を超えていました。

…先方の話術のせいみたいに書いてますが、もちろん意志の弱いわたしが悪いです。

帰りの足取りは重かったです。
今でさえ毎月かつかつの生活なのに、このうえ2万円…しかも物が残るわけでもない、自分の体を綺麗にしたいためだけに。すごく罪悪感がありました。

翌日、「もう少し総額を減らしたい」旨の連絡を入れました。
すると前日に契約した際の担当者の方が出てきました。
「ですがぷにさま、回数を減らしてしまうと折角のエステの効果が出ないうちに終了することになってしまいますよ。勿論回数を減らすことは可能ですが、やはりぷにさまの目標体重ですと、最低でもこの回数は通っていただかないと勿体ないですよ。」
そう言われてしまうと「折角高いお金を払っても中途半端な結果になってしまうなら、もう少し出してでもちゃんと痩せさせてもらったほうが…」と簡単に納得してしまい、結局、最初の契約どおりのまま進めることになりました。

既にかつかつな生活に、ローンの2万円が加わりました。

エステには、週2回ほど通いました。
週3くらいは通いたかったのですが、ブームでもあったのでしょう…なかなか予約がとれなかったのです。

通ううちに、別途スリミングジェルや、痩せる効果を高めるというサプリメントを勧められます。
いずれも高いそれらの商品…「お使いいただくと効果が格段に変わりますよ」というセールストークに、またしても簡単に巻き込まれます。

わたしはおそらく、ちょろい客だったでしょう。
エステティシャンのノルマを果たすためのセールストークにまんまと乗せられ、さらなるローンを抱えることになります。


どんどん生活はきつくなっていきました。
家に納めるべき月々の3万円は、時折とどこおるようになっていきました。

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借金体質のはじまり(専門学校生時代) :: 2011/06/19(Sun)
昨日書き綴った、子供時代からの自分の生活を読み直してみて…

うわーこんな事まで書いてしまったー!!って。
なんか、書いたけど消そうかな、とか…かなり丸出しな感じで書いてしまってるので、自分でアワアワしてしまいます。
家族が読んだら確実に泣くし、激怒されるな、これは…。

これまで全く人に話したり書き綴ったりしたことのない部分なので、なんなら家族の中でもタブーだし…余計、戸惑うんだとも思います。

でも、ほんとここ数年ですが、姉とはこの頃の話を時々するようになったんですよ。
「あの頃って、暗かったよね…」みたいに。

姉は、高校時代の記憶が殆ど無いんだそうです。
家族が借金に見舞われたのは姉が中学3年生の頃だったので、そのあとのゴタゴタした日々が相当辛かったのかな…って思ったりします。
凄く辛抱強い姉で、昔から何でも我慢してしまうひとなので…進学もお金の事があって諦めたし。
今あの頃の姉を思うと、なんだか可哀想でたまらなくなります。


さて、わたしの話です。
高校時代の終わりごろに替わったバイト先(居酒屋みたいな所)で働きつつ、専門学校に通いはじめます。
そういえば、昨日書き忘れてましたが…このバイト先はお給料が振り込み制でした。地元の信用金庫に口座を開設し、そこに振り込まれることになり…ここではじめて、自分のお金を自分で管理する、という生活になりました。
それまでは、わたしの口座は母が管理していたので。


時代は、「バブル」でした。
クラスメイトは自分の車を持ち、女の子の多くは通学にヴィトンのバッグを使ってました。

とはいえ、相変わらず地味なわたし。
それを羨ましいと思うような気持ちはほとんど無く、ノーブランドの服を着て、ノーブランドのバッグを持って、通学していました。
同世代のひとたちが「あの頃は凄かった」「バブルだった」と回顧するのを今もよくテレビなどで見ますが、個人的にはバブルの恩恵を受けた覚えは、実は殆どなかったです。

そんな地味なわたし(笑)にも、友達がたくさんできました。
今思い返しても、最後の学生生活となったその専門学校での日々は、実際ほんとうに楽しかった。
人付き合いが得意でないわたしでも、そのころの友達とは今でも交流があります。

友達が増え、ちょっと食事をしたり、バイトの無い日は飲みに行ったり、遊びに行ったり…みたいなことが増えていきます。
授業が終わってからバイトまでにすこし時間があるので、その時間が友達との時間になりました。
ほぼ毎日、喫茶店で何か食べてからバイトに行くようになりました。

バイト先で、まかない食は出るんですよ。
あと、家に帰ってからも食べるんですよ。
つまり、1日5食くらい食べてました。人生でも一番太ってた時期でした。159センチの身長に対し、あとちょっとで60キロいってしまうー!!くらいまでになってました。当時の写真見てもムチムチです。

そんなある日、ソニープラザ(当時)で買い物をしていた時に、化粧品カウンターのお姉さんに声を掛けられます。「REVLON」でした。
地味で世間知らずのわたしはチョロい客だったと思います。
化粧水、乳液、などの基礎化粧品に加え、何故か覚えてるんですが、8,500円するアイクリームを勧められました。「10年後に確実に目元に差が出るのよ!!」っていうのが売りでした。

うわー高い、どうしよう、とか思ったものの…
なんだかはじめて「大人扱い」をされたような気がして、嬉しかったのです。(今ならそんなのは錯覚だとわかるのですが…)

まとまったお金を持ち歩いていないので、カードを作ることになりました。
19歳なら作れるから、とお姉さんに言われ、そして作ったのが、ソニープラザのカードでした。はじめてつくったクレジットカードです。
金利がいくらだったか、とか、銀行系だったか信販系だったか、とか、全く覚えていません。というか当時から、意識もしていなかったと思います。

そしてそのカードで、化粧品代を分割払いにすることになりました。
はじめての、「借金」といえるものでした。

その化粧品を使いきらないうちに、同じソニプラの、今度は「マリークワント」でお姉さんに捕まります。
正直REVLONの基礎化粧品はわたしの肌にキツイと感じてましたので、そんなに勿体無いとかも考えずに乗り換えました。また、分割払いです。

既に、おかしいことになってきてます。
でも本人はそれに気付いていませんでした。

バイトは、最初きつかったです。
主のようなおばちゃん達が本当に怖かったし、理不尽な意地悪みたいなのもされたりしました。

でもわたし、当時から「どこに行ったって同じだ」って思ってるところがあって…高校時代のバイトにしても、今の職場にしても、「嫌だから」みたいな理由で転職したことって一度も無いんです。
なんでしょうね、「我慢強い」とかではないんですよ。母とかは今の仕事をずっと続けてることも「偉いね」って言ってくれるんですけど…偉いとかじゃなく、たぶん一番大きいのは「転職が面倒だから」って理由です。

昔からですけど、環境が変わるのが嫌いなんです。すごく。怖いんですよ。

で、バイトはずっと続けていて…だんだん古株(笑)になっていきまして、最終的には怖かったおばちゃんとも仲良くなってました。最後辞めるときとかお金出し合って腕時計を贈ってくれたりして。(大泣きしました)
でもって、続けてるうちに徐々に時給もあがっていきまして…最初530円だった時給は、最後(2年後)には800円になってました。これは経験年数と…あとやっぱり、バブルの恩恵もあったのでしょうかね。

そうやって、給料は増えていきました。
だけど、カード払いの化粧品や日々の食事などの「浪費」には、気付いていませんでした。

これは今もそうですが、ブランド物だとか、すごくいいもの、高いもの、みたいなのは買わないんです、滅多に。
だけどそうじゃない、日々のどうでもいいものとかに、無意識にお金を使ってしまってるんだと思います。
部屋の中も、無駄にモノが多いです…。

ここへきて、「どうしてこうなってしまったんだろう」って、よく思います。

人より、借金の怖さは知ってたはずでした。
お金を持たない生活にも慣れていたはずでした。
なのに、どうして学べなかったんだろう。
どうして、身動きが取れなくなるほどの借金を重ねてしまったんだろう。
悔やみます。

たぶん、高校時代までつましい生活をおくってきて…買いたいものも買えないし、親が買ってくれるでもないし。
ここへきて、タガが外れてしまったんですかね。
たくさん給料を貰って、「あーこれ使っていいんだ」みたいになってきてしまったのかなあ。
…そういうこと、当時は突き詰めて考えることをしませんでしたが。


さて。夏になり、そろそろ後期分の学費を納める時期がやってきます。
ですが、わたしの蓄えはその学費にだいぶ、足りませんでした。
月々5~6万ほどバイトで収入を得て、それを3~4万づつ貯めていけば充分足りたはずの学費が…浪費によって、少ししか残っていませんでした。

親には言えませんでした。どうしたかっていうと…なんと、放置しました。

でも放置したって学生なんですから、学費未納の連絡は親にきてしまいます。あっさりバレました。

親は、わたしを責めませんでした。
そして、親戚に返す分に貯めてあったんであろうお金で払ってくれました。

申し訳ない、とは思いました。
でも、「まわりの友達に比べて、なんで自分だけ自分でお金払わないといけないんだろう」…みたいな思いも、実はありました。
そこで反省して改めればよかったのに、わたしはそれ以降も、変わらない生活を続けてしまいます。
働いた分はそのまま、自分が食べたり遊んだりするお金になっていきました。
高いものを買ったりするわけではないので、やはり「浪費している」という意識はないままでした。

夏休みや冬休みには、ずっと続けている夕方からのバイトのほかに、昼間のバイトを短期で入れて、ダブルワークで働いてました。
それでもなぜか、お金はすぐに無くなってしまうのでした。

結局、2年の分の授業料もろくに払えませんでした。
最終的には親だけでなく、契約社員としてデパートに勤めていた姉の蓄えからも借りることになりました。
姉には、リクルートスーツを買う時にもお金を出してもらいました。

自分では、贅沢はしていないつもりでした。
「お金が無いから」という理由で、学校行事である卒業旅行にも参加しませんでした。
それでも、お金が足りなかったのでした。

就職先は、これぞバブルの恩恵なのですが、あっけないほど簡単に決まりました。
それが今も勤めている職場です。
たいした会社ではありませんが、それでも今の時代だったら、大卒でもなく親のコネもないわたしなど、望んでも雇ってはもらえないでしょう。

2年の秋になって、免許のない友人達が教習所に通い始めます。
そうか、就職して社会人になるんだから、免許くらい必要なのか…と考えます。
「今とっておかないと」という友人の言葉に「なるほど、それはそうだ」と納得します。

勿論、学費すら満足に払えなかった私に元手があるわけはありません。
ここで、初めてローンを申し込みました。

今のシステムがよくわかりませんが、オートマ限定とかも無かった時代ですので、結構掛かりました。利息も含めると25万~30万くらいにはなったでしょうか。確か日本信販で申し込んで、月々2万円を返済していたと思います。初めてのローンの割に、なんだか不確かでお恥ずかしいです。

その頃から学校のほうも時間が出てきて、別のバイト先を検討しはじめます。
高校時代から続けていたバイトは夕方からの勤務しかなかったので、土日や長い休みの時に昼間も働けるバイト先がいいと思ったのです。一応、親と姉に出してもらってる学費をなんとかしなくては、っていう気持ちはあったんです。

新しいバイト先は、昼間の時給は前と同じ800円でしたが、夜は1,000円貰えました。
冬休みには過去最高の14万円ほど貰うことができました。…今の手取りとあんまり変わりませんね…。

こうして、ローンと家族への借金を抱えたまま、学生時代を終えることとなりました。

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